ホーム お茶コラム > 煎茶と深むし茶ってどう違うの?

煎茶と深むし茶の特長

煎茶 深蒸し茶

日本茶の生産の80%を占め、一番よく飲まれています。抽出すると、山吹色で澄んだ色をしています。旨みと渋みの調和がよく、清涼感のある後味が特長です。

 

 

一般的な蒸し時間は30秒~40秒ですが、「深蒸し茶」はその倍の60秒~80秒ほど蒸します。更に長く蒸した(180秒前後)お茶を「特蒸し茶」といいます。蒸すことにより渋みが抑えられ、また葉が細かくなり、抽出すると濃い緑色でまろやかなコクがあるのが特長です。抽出しやすいので、水出しでいれるお茶としても向いています。

煎茶の発祥

 

1738年、宇治湯屋谷の永谷宗円が、これまでの釜炒り製法や碾茶製法に工夫を重ねて、新しい煎茶製法である「蒸し製法」を編み出しました。摘んだ葉を蒸して殺青し、和紙を貼った焙炉の上で揉みながら乾燥させる製法で、これが現在の煎茶のはじまりです。

 

※お茶コラム「煎茶と玉露のはじまり」をご参照ください。 

 

深むし茶の発祥

深蒸し茶の発祥は、静岡県中部の牧ノ原台地とその周辺地域だと言われています。今では大きな茶園が広がっていますが、江戸末期までは、作物の育たない荒地でした。1868年に江戸幕府が崩壊し、明治維新によって、旧幕臣たちは職を失いました。駿府に移住した徳川慶喜の護衛隊200人などがお役御免となり、明治2年に中条景昭(ちゅうじょうかげあき)に率いられ、幕臣の救済策のひとつとして、当時未開の原野であった牧ノ原(現在の島田市・菊川市・牧ノ原市にわたる台地)の開墾を始めました。

 

しかし、荒地を開墾する作業はたいへんなものでした。慣れない仕事と出荷額の低迷や設備投資に耐えかね、元士族たちは次々と土地を離れていきました。それでも、まわりに住む農家の人たちも加わり、開墾は続けられました。

 

明治4年には造成した茶園は500ヘクタールに達しました。同じ頃、これまで橋をかけることが許されなかった、牧ノ原台地の東を流れる大井川に橋がかかり、川をわたる旅人の助けをしていた川越人足たちも職を失い、開墾に加わりました。

 

牧之原はやせた土地のため種を蒔いた後の生育が遅く、初めて少量の茶芽を摘採できたのは、明治6年のことでした。こうした昔の人々の苦労と努力が実を結び、現在の6000ヘクタールにも広がる牧之原台地の大茶園のもとがつくられたのです。 

しかし、ようやくできたお茶は、山間地の茶に比べて葉肉が厚く、渋みが強いため、消費地の好みに合わず、評価も低いものでした。そこで昭和30年代に、菊川市の茶農家により、蒸し時間を長くして渋みを抑えた深蒸し茶が作られたといわれています。

煎茶と深むし茶に含まれる栄養素

お茶に含まれる代表的な成分として、カテキン類、カフェイン、アミノ酸類があげられます。このほか、ビタミン類、ミネラル、食物繊維なども含まれています。これらの成分は、水に溶けるもの(水溶性成分)と水に溶けないもの(不溶性成分)とに分けられます。

 

 お茶に含まれる栄養素の70~80%は、お湯に溶けずに茶殻に残ってしまいます。煎茶と深むし茶に含まれる栄養素の違いはほとんどありませんが、深むし茶は茶葉が細かくなるため、通常は茶葉に残ってしまう食物繊維やβカロテン、ビタミンE、ミネラル(銅、亜鉛、マンガン)なども抽出されます。お茶の色が鮮やかな濃い緑色なのは、茶葉の微粒子が浮遊しているからです。深むし茶を飲まれるときは、ぜひ湯のみの底に溜まった茶葉も一緒に混ぜながらお召し上がりください。

 

※お茶コラム「お茶に含まれる栄養素」をご参照ください。