会社情報

トップメッセージ

「粗茶ですが」「茶柱が立つと・・・」といったお茶にまつわる言葉やことわざはたくさんあります。
お茶は、永い歴史と伝統によって日本人に受け継がれてきた日本の文化そのものであり、日常生活と密接にかかわりながら共に発展してきました。

現在、ご家庭や職場で急須を使いお茶を淹れることから遠ざかりつつあるなか、弊社企業理念「緑茶の復権」「緑茶の持つ文化と空間の創造」を念頭に、品質を重視し暮らしのお茶にふさわしい商品づくりに邁進しております。

全国の優れた生産者の方から原料茶葉を提供いただき、弊社の味・香り・水色に仕立てる 「創業安政元年ちきりや」

要所要所にお茶を使用し皆様方から愛される料理と空間を提供させていただく「四条烏丸ちきりや茶寮」

お茶を通じて京都の地から全国に発信し、心の潤いと安らぎ、皆様への健康に少しでも寄与することができるならば、「ちきりや」として最高の喜びと日々感謝致しております。

代表取締役社長
米内 政明

経営理念

企業理念

「緑茶の復権」、 「緑茶の持つ文化と空間の創造」

品質方針

品質を最重視した環境づくりと製造工程を取り入れ、 法令・規制要求事項を厳守し、 「安心」、「安全」でしかも美味しいお茶をお届けする。

沿革

安政元年 ちきりや創業
明治43年 宇治木幡に茶園を開く
昭和15年 ちきりや茶寮オープン(河原町三条下ル)
昭和26年 (株)ちきりや茶店設立
昭和39年 京都生活協同組合取引開始
昭和51年 日本生活協同組合連合会取引開始
昭和61年 (株)イトーヨーカ堂取引開始
昭和63年 静岡工場建設
平成12年 株式会社ニッド取引開始
平成13年 自然農法センターより認定を受け、静岡工場が有機JAS認定工場となる
平成18年 静岡工場がISO9001(品質マネジメントシステム)認証取得
平成22年 株式会社ちきりやに社名変更
平成23年 ちきりや茶寮オープン(四条烏丸上る)

ちきりやについて

ちきりやは、創業安政元年(江戸時代・1854年)、
京都の老舗をもって知られる千吉(ちきち)の別家にて、呉服商を営んでいた秋山覚兵衛が、暖簾分けにより、山城宇治銘茶の販売を手掛けるようになったのがはじまりです。
※「千吉」とは千切屋吉右衛門を略した屋号です。

ちきりやの紋

京都における最古の商家の家柄として知られている千切屋一門西村家の遠祖は、奈良時代の藤原淡海公の末裔で、工匠(大工)神人として南都一条院に関係し、春日大社の摂社である「若宮神社」の祭事の時に、興福寺衆徒の供進する千切花の台(千切台)を毎年製作奉納していたと伝えられています。

ちきりやの紋は、この千切台を真上からみたデザインです。四隅を切った四角形(八角)を三つ、俵を積んだように重ね、真ん中の八角形と右下、左下の八角形を、それぞれ二本の棒でつないでいます。三つの八角形の内側には、橘、藤、松、竹などの花が細かく描かれています。

千切屋一門の繁栄

千切屋は少なくとも、1550年代以来、450年以上の歴史を持つ商家です。千切屋初代である西村与三右衛門貞喜は、弘治4年(1558年)に、与三右衛門貞喜は、三条通室町西入ルに法衣商の店を設けました。
その後、二代・与三右衛門雄貞の長男忠兵衛の子・治兵衛、四男長右衛門の三男・宗(総)左衛門がそれぞれ分家して、「千治(ちじ)」、「千総(ちそう)」が誕生しました。
また、四代・与三右衛門重貞の次男の吉右衛門貞利が後を継いで、これが千切屋吉右衛門、つまり「千吉(ちきち)」の始まりとなりました。

幼少の頃に「千吉」に奉公していた秋山覚兵衛は、宝暦6年(1756年)、分家して三条衣棚に店をかまえて法衣業を始めます。そして安政元年、五代・覚兵衛の時代にちきりや茶店創業となりました。六代・覚兵衛が茶の輸出にも乗り出し、博覧会に出品して表彰され、京都市茶業組合の副組長にもなりました。七代・覚兵衛は地域の有力者でもあって、京都市茶業組合組長や、明倫小学校(現在は京都芸術センター)の学務委員という役を務めていました。

ちきりや茶店の茶園

七代・覚兵衛は、明治43年(1910年)に宇治木幡に茶園を開きました。茶園は京阪電鉄木幡駅の真南に接しており、玉露や碾茶を主に作っていました。製茶工場もそこにあり、新茶時期には、たくさんの茶摘み女が茶芽を摘み、蒸気の吹き上げる製茶場で男たちが汗を流して茶を蒸し上げ、揉む作業をしていました。

当時茶業者が自園を持っていたのは3店だけで、とても珍しいものだったようです。しかしながら、第二次大戦後の農地解放でなくなってしまいました。

五色の辻

当時の千切屋一門の繁栄をうかがわせるものが、三条室町の西北角にあります。 吉井勇(明治19年~昭和35年)の歌碑です。

“洛中の 五色の辻に 家居して  み祖の業を いまにつたふる”

三条室町の四つ辻を「五色の辻」といいます。江戸時代、この辺りは千切屋百軒といって、千切屋一門の家々が並び、東南は「赤壁」、南西は「黄壁」、東北は「青壁」、西北は「黒白壁」の五色だったことから、このようにいわれました。

桑原秀樹(2012)『抹茶の研究』秋山哲(2005)
『京都の茶商ちきりや 秋山という家』より引用

ちきりや茶寮

桑原秀樹(2012)『抹茶の研究』秋山哲(2005)
『京都の茶商ちきりや 秋山という家』より引用

ちきりや茶寮は、もともと昭和15年(1940年)に、京都市中京区河原町三条下ルに、本格的和風喫茶店としてオープンしました。階下に茶舗、喫茶室、階上に喫茶室及び茶室がありました。当時開発された「抹茶アイスクリーム」は、白いアイスクリームの上に抹茶を振りかけたもので、珍し いものでした。

戦争で閉店となってしまいましたが、70年の時を経て、平成23年(2011年)12月、京都市中京区烏丸四条上がったところに、カフェレストラン「ちきりや茶寮」をオープンしました。

町内の取り組み

祇園祭・鷹山の復興応援

ちきりや本社のある衣棚町には、かつて鷹山という祇園祭の山がありました。鷹山は文政9年(1826年)巡行時の大風雨によって破損し、その後巡行できず、さらに蛤御門の変(1864年)による大火で、人形三体の首と手を残して焼失してしまいました。残った頭部と手に簡単な衣装を着けて、現在も祇園祭には衣棚町の会所に飾る居祭(いまつり)を続けています。

ちきりやは、公益財団法人鷹山保存会にも属し、2022年の巡行参加に向けて復興を応援しています。

【鷹山の復興年表]
2014年 鷹山囃子方復活、保存会のTシャツ作成
2015年5月 一般財団法人鷹山保存会発足
2015年7月 粽授与、祇園囃子の演奏復活、提灯や浴衣作成
2016年1月 公益財団法人鷹山保存会設立、祇園祭山鉾連合会の準会員になる。
2017年7月 鉦(かね)の新調、授与品の協力、日和神楽の台車が完成し、日和神楽に参加(町内のみ)
2018年6月 曳き手と先導役の衣装が完成(京都市立芸術大の学生による制作)
2017年授与品
宇治抹茶入り緑茶ティーパック